イワシクジラとワシントン条約(CITES) :日本はなぜ留保を付さなかったのか
真田康弘(早稲田大学 研究院客員准教授)
2017年11月末から12月初めに開催されたワシントン条約常設委員会では、調査捕獲によるイワシクジラの国内水揚げがワシントン条約(CITES)の「海からの持込み」に関する規定に違反しているのではないかとして日本は参加各国から強い批判を浴びた。
「海からの持込み」とは、「いずれの国の管轄の下にない海洋環境において捕獲され又は採取された種の標本をいずれかの国へ輸送すること」を指し(条約第1条(e))、ここでの「いずれの国の管轄の下にない海洋環境」とは「一国の主権もしくは主権的権利の下におかれる領域を越えた海域」を意味している1。クジラの場合は、公海上で捕獲されたものを自国内に水揚げすることが「海からの持込み」に該当する。
附属書Ⅰに掲載された種については、「主として商業的目的」の輸出入並びに再輸出及び海からの持込みを行うことは認められない(条約第3条)。ここでの「主として商業的目的」の解釈については、「非商業的側面が明らかに支配的である(clearly predominate)と言えない全ての利用は主として商業的性質を有すると見なされるべきで、付属書I掲載種の輸入は許可されるべきではなく、使用目的が明らかに非商業的であるとの挙証責任は輸入をする側が負う」との決議が日本も賛成する形で採択されており2、この決議に照らすと、鯨肉を切り分けて市場で流通・販売させている現状はどのように解釈しても「主として商業的目的」に該当すると判断せざるを得ない。国際捕鯨委員会(IWC)で毎回熱弁を振るって日本の立場を擁護するアンティグア・バーブーダの代表本人が常設委員会にも出席していたが、彼すら「おそらくここで必要なのは、CITESの義務と国際捕鯨取締条約の義務との調和(reconciliation)である。CITESの義務を果たそうとすれば、日本は国際捕鯨取締条約の義務を破ることになってしまう」と述べ、日本のイワシクジラの捕獲がCITES上合法であるとの立場を取らなかったのは、CITESの条文解釈上日本の調査捕鯨に基づくイワシクジラ鯨肉の水揚げが「主として商業的目的」としかと解釈しようがない、ということが理由であろうとも思料される。
このような問題が発生してしまったのは、日本は附属書Ⅰに掲載される大型鯨類のその他の全てには留保を付けているにもかかわらず、イワシクジラだけに北太平洋海域と南半球の一部の海域に限って留保を付していないからである。実際、「なぜ日本はわざわざ一部に限って留保をつけていないのであろうか」、「間違って留保を付け忘れてしまったのではないか」と訝る海外NGOの声を筆者も常設委の会場などに耳にした。そこで今回は日本が留保を付さなかった理由を示してみたい。併せて、イワシクジラがこれまでワシントン条約でどのように規制されてたか振り返り、今後の展望を示すものとしたい。
1. 条約設立当初における鯨類の規制
1973年の条約採択時に附属書に掲載された鯨類は、コククジラ、シロナガスクジラ、ザトウクジラ、ホッキョククジラ、セミクジラの5種及びガンジスカワイルカで、いずれも附属書Ⅰに掲載されている。当初米国が会議に先立ち配布した案ではシロナガスクジラ、コククジラ、セミクジラ、ザトウクジラ、ホッキョククジラ、マッコウクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラが附属書Ⅰに掲載されていたが、「海からの持込み」規定により鯨類の規制を嫌った日本に譲歩するかたちで、「海からの持込み」規定自体は維持する一方でIWCで捕獲が禁止されていないナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラを附属書から外すこととなった3。
CITESは1975年に発効し、第1回の締約国会議は1976年に開催された。イワシクジラはこの会議で附属書Ⅰに掲載されている。きっかけとなったのはIWCでの規制強化である。1972年に開催された国連人間環境会議では商業捕鯨10年モラトリアムが採択され、これを背景に米国はIWCでも商業捕鯨10年モラトリアムを提案した。この提案自体は採択に必要な4分の3の多数を得られなかったが、オーストラリアが1974年のIWC年次会合で妥協案として現行よりはるかに厳格な管理措置の導入を提案、これが採択されるに至った。これは「新管理方式」と呼ばれ、MSY理論をもとに資源評価をIWC科学委員会が行い、資源を海域ごとに①初期管理資源、②維持管理資源、③保護資源と三分類し、MSY水準を割った保護資源については捕獲を認めない、とするものである。
1975年のIWCで、この「新管理方式」に基づく始めて資源評価と捕獲枠の決定が行われた。結果、ナガスクジラは南極海(南緯40度以南、西経60度から120度の海域を除く)と北太平洋資源を「保護資源」と分類し捕獲枠をゼロとし、イワシクジラについても南半球でのイワシクジラについても4,000頭から2,230頭へと削減されたのみならず、赤道以南で経度0度から東経70度までの海域と北太平洋の資源が「保護資源」へと分類され、捕獲枠がゼロとされた4。
これを受け、米国が1976年に開催されたワシントン条約第1回締約国会議で、「保護資源」とされた海域でのナガスクジラとイワシクジラを附属書Ⅰに掲載する提案を上程、これが採択されている5。この結果イワシクジラについては経度0度から東経70度までの南半球海域と北太平洋の資源が附属書Ⅰに掲載されることとなった。
1979年に開催された第2回締約国会議では、全ての鯨類を附属書Ⅱに掲載するとの提案が英国より上程、これがコンセンサスで採択されている6。なお、日本が条約を批准したのは1980年であるため、第1回締約国会議に日本は参加しておらず、第2回締約国会議でも投票権を有する締約国としては参加していない。
2. なぜ日本は北太平洋のイワシクジラに留保を付さなかったのか
ワシントン条約効力発生後も引き続き絶滅危惧種を大量に輸入する日本に対する国際的批判が高まったこと、国内でもNGO、メディア、国会議員が速やかな批准を求めたことから、政府は批准のための作業に1970年代末より加速させた。他方、爬虫類を利用する皮革業界、タイマイを利用するべっこう業界、ジャコウジカを生薬として利用する業界、及び捕鯨業界の要請から、日本は批准に際して一部のトカゲ、タイマイ、ジャコウジカなど9種に対し留保を付した。
鯨類ではナガスクジラについて留保を付しているが、これは一旦保護資源と分類されていた北大西洋の一部の個体群が「保護資源」から外れて捕獲枠が設定され、その一部を日本が輸入していたことから、水産庁が留保を求めたことによる7。他方、当時南半球一部海域と北太平洋の資源に対するイワシクジラの附属書Ⅰ掲載について日本は留保を付さなかった。IWCでは当時も引き続き当該海域資源を「保護資源」として捕獲を禁止していたため、IWCとCITESでの規制に矛盾が生じないとして問題視しなかったことによる8。
1981年に開催され、日本も締約国として代表団を派遣した第3回締約国会議では、西ドイツがマッコウクジラ、ナガスクジラ、及びイワシクジラ全てを附属書Ⅰに掲載する提案を上程、採択されている。これについて日本は、IWCではこれら3鯨種について一部で捕獲枠が設定されており、したがってIWCでの規制との整合性がないとして留保を付した。この留保は現在でも維持されており、このため日本は全てのマッコウクジラとナガスクジラについてCITESの附属書Ⅰに関する規定に服す義務を免れている。
他方、イワシクジラについては留保は北太平洋と南半球の一部海域以外についてのみにとどまっている。確かに日本はイワシクジラが全て附属書Ⅰに掲載されたことに対して留保を付している。しかしながら、日本は条約を批准した段階で北太平洋と南半球の一部海域についてのイワシクジラの附属書Ⅰ掲載に対して留保を付していない。
いずれの国も、条約を批准する際に附属書掲載種に対して留保を付すことができ(条約第23条2項)、また、締約国会議90日以内に、当該締約国会議で改正された附属書掲載種に対して、締約国は留保を付すことができる(条約第15条3項)。しかしながら締約国は、留保を付さなかったものに対して、後から留保を付すことは認められていない。したがって、条約批准の段階で留保を付さなかった北太平洋及び南半球一部海域でのイワシクジラについて、1981年の附属書改正の際に留保を後からつけることが条約の規定上不可能であった。この結果、現在調査捕鯨を実施して実際にイワシクジラを捕獲している北太平洋で、CITESでは附属書Ⅰに関する規制に服する法的義務があるという事態が生じたのである。
なお、日本が1981年の締約国会議で新たに付け加えられた鯨類の附属書Ⅰ掲載について留保を付す旨通告した際、条約事務局が誤って既に附属書Ⅰに掲載されている北太平洋と南半球の一部海域に対して留保を付し、それ以外の海域については留保を付さないと留保種リストに掲載し、これに気付いた日本側が誤りを指摘し、事務局が訂正した経緯がある9。仮に事務局の誤りに日本側が気が付かず、これが放置された場合、現在のイワシクジラの「海からの持込み」問題が発生しなかったかも知れない。
3. ワシントン条約でのその後のイワシクジラの扱いと今後
1981年に附属書Ⅰに掲載されて以降、イワシクジラはCITESではほぼ全く議論の対象とされることはなかった。1990代半ばから2000年代初めまで、ノルウェーと日本はCITESでミンククジラなどに対して附属書Ⅰから附属書Ⅱに移行させるとの提案を行っているが、ここで日本が提案したのはコククジラ、ミンククジラ、ニタリクジラにとどまり、イワシクジラの附属書格下げ提案を行ったことはない。日本が北太平洋でイワシクジラの調査捕獲を開始したのは2002年のことであるが、その後に開催されたCITESの締約国会議でも日本はイワシクジラの附属書格下げ提案を行っておらず、調査捕獲がCITESの規定に抵触する恐れがあることは全く認識していなかったと思料される。日本はもとより、他の締約国もこの問題には気が付いていなかったのではないかと思われる。
イワシクジラの調査捕獲がCITESに違反するとの指摘を論文で初めて行ったのは1978年から1981年までCITESの事務局長を務めたピーター・サンド(Peter Sand)で、2008年のことである。彼はイワシクジラの日本への水揚げがCITESの条文及び「主として商業的目的」に関するCITES決議に照らして国際法違反であり、取引停止勧告を行うべきであるとしている10。
このサンド元事務局長の主張が2016年の締約国会議に合わせて開かれた常設委員会で提起され、2017年の常設委員会でも検討が行われたことになる。これを提起したのは英国とドイツであると言われており、事務局は2016年の締約国会議直前に開催された常設委員会の場で、日本によるイワシクジラの「海からの持ち込み」に対する証明書発給に関して、上記条項に関する事前段階的な協議として日本と文書を通じた情報交換を行い、結果を次回の常設委員会に提示すると正式にこの問題を提起している11。
常設委員会での議論と今後常設委で予想される展開としては前回の拙稿の通りであるが12、最近の出来事として2018年4月に環境NGOが連名でイワシクジラの国内流通の停止を求める共同声明を公表している。ここで注目されるのは「イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク」や「グリーンピース・ジャパン」等とともに、賛同団体として「日本自然保護協会」と「日本野鳥の会」が加わっている点である。筆者の記憶の範囲で両団体が調査捕鯨に関係する活動に対する反対の声明に加わったことは少なくともここ数年の間にはないと考えられ、これは調査捕鯨の是非にかかわりなく日本のイワシクジラの水揚げがワシントン条約違反であるとの解釈が説得力をもって受け入れられていることの表れであるともいえる。
共同声明でも触れられているが、「商業捕鯨の実施等のための鯨類科学調査の実施に関する法律」では、調査捕鯨は「我が国が締結した条約その他の国際約束及び確立された国際法規」に基づかねばならないと定めていることから(第3条)、イワシクジラの国内水揚げがワシントン条約に抵触する場合、当該国内法にも抵触することになる。今年10月に開催される常設委員会で本件は再び審議される予定であるが、ここで正式に条約違反と認定された場合、国際的にはもとより、国内的にも環境NGOやメディアにおいて態度の変化がみられるか、今後の展開が注目される。
1CITES, Conf. 14.6 (Rev. CoP16), “Introduction from the sea,” para. 1.
2 CITES, “Proceedings of the Fifth Meeting of the Conference of the Parties: Buenos Aires, Argentina, 22 April to 3 May 1985,” p.114.
3 真田康弘「CITESとIWCとの相互連関の起源:「海からの持込」規定のCITESへの導入と付属書における鯨類の取り扱いを巡って」『環境情報科学論文集21』、2007年、315 – 320頁。
4 IWC, “Twenty-Seventh Report of the Commission (covering the twenty-seventh fiscal year 1975 – 76),” 1977, p. 7 – 9.
5 CITES, “Proceedings of the First Meeting of the Conference of the Parties: Berne, Switzerland, 2 – 6 November 1976,” 1977, p. 117.
6 CITES, “Proceedings of the Second Meeting of the Conference of the Parties: San José, Costa Rica, 19 to 30 March 1979 (Volume I),” 1980, p. 157.
7 外務省国連局企画調整課、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(通称ワシントン条約)批准に伴うわが国の留保品目」、1980年3月7日起案、1980年3月28日(外務省所蔵文書、文書ファイル名「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引条約(ワシントン条約)・1978年11月22日作成」)。
8 農水省、「ワシントン条約(WC)によるクジラ類の規制と捕鯨条約との関係について(メモ)」、1979年3月31日(外務省所蔵文書、文書ファイル名「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引条約(ワシントン条約)締約国会議・1978年5月2日作成」)。
9 外務大臣発在スイス大使宛電信国企第158号、1981年7月6日(外務省所蔵文書、文書ファイル名「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引条約(ワシントン条約)締約国会議(第003回)・1980年05月23日作成」)。
10 Peter Sand, “Japan’s ‘Research Whaling’ in the Antarctic Southern Ocean and the North Pacific Ocean in the Face of the Endangered Species Convention (CITES),” Review of European, Comparative & International Environmental Law, Vol 17, No. 1 (2008), pp. 56 – 71.
11 Sixty-seventh meeting of the Standing Committee Johannesburg (South Africa), 23 September 2016, Summary Record, SC67 SR, p.7.
12 真田康弘「イワシクジラとワシントン条約(CITES):第69回CITES常設委員会報告」『IKANet News』Vol. 68、4 – 13頁。http://ika-net.jp/ja/ikan-activities/whaling/344-cites69j