日本の調査捕鯨は違法か
2015年10月、日本は国連事務総長に対し、海洋関係の問題については国際司法裁判所(International Court of Justice: ICJ)の義務的管轄権から除外するとの宣言を行うとともに、同年12月に「新南極海鯨類科学調査(New Scientific Whale Research Program in the Antarctic Ocean : NEWREP-A)」と題する南極海での科学調査名目での捕鯨に対する捕獲許可証を正式に発給した。とりわけ日本の「調査」捕鯨再開は「日本は国際司法裁判所の判決を事実上破った」と諸外国において驚きをもって報じられた。
そこで本稿では、まず日本の義務的管轄権受諾宣言の変更とのその意義について明らかにした後、NEWPREP-A最終調査計画書を分析し、その問題点すなわち調査目的に照らし計画が合理性を有さないため国際法上違法ではないのかとの点について検討を試みたい。
1.日本の義務的管轄権受諾宣言変更
ICJに訴訟を提起するためには、紛争当事者がICJの管轄権を受諾している必要がある。つまり、一方が提訴しても、他方がICJの裁判管轄権を受諾しなければ、ICJは裁判をすることができない。例えば日本は2012年8月、韓国に竹島問題のICJ付託を提案したが、韓国がこれを拒否したため、ICJはこの問題に対して裁判をすることはできない。
その一方、ICJは規程第36条2項で、この規程の当事国は、条約の解釈等に関するすべての法律的紛争についての裁判所の管轄を、同一の義務を受諾する他の国に対する関係において当然に且つ特別の合意なしに義務的であると認めることを、いつでも宣言することができると定めている。これがICJの義務的管轄権と呼ばれるものである。この宣言を行うか否かは各国が自由に選択できることから「選択条項受諾宣言」とも呼ばれている。日本が南極海捕鯨裁判で豪州から提訴された際、これに応じざるを得なかったのは、日本が義務的管轄権受諾の宣言を行っていたためである。
日本が最初にICJ強制管轄権受諾宣言を行ったのは、1958年のことである。すなわち同年9月15日付ハマーショルド国連事務総長宛宣言書により、「この宣言の日付以後の事態又は事実に関して同日以後に発生するすべての紛争であって他の平和的解決方法によって解決されないものについて、国際司法裁判所の管轄を、同一の義務を受諾する他の国に対する関係において、かつ、相互条件で、当然にかつ特別の合意なしに義務的であると認める」と宣言している1。その後日本は2007年7月9日付潘基文国連事務総長宛の宣言書で、改めてICJの義務的管轄権を受諾しているが、この新たな宣言書では、紛争の他のいずれかの当事国が「当該紛争との関係においてのみ若しくは当該紛争を目的としてのみ国際司法裁判所の義務的管轄を受諾した紛争」または「国際司法裁判所の義務的管轄の受諾についての寄託若しくは批准が当該紛争を国際司法裁判所に付託する請求の提出に先立つ12か月未満の期間内に行われる紛争」には適用されないとの文が挿入されている2。これは、強制管轄受諾宣言を行っていなかった国が日本との紛争をICJに付託する目的で急遽宣言を行い、その直後に紛争を付託するという「不意打ち提訴」に応じないためのものである3。
ICJ捕鯨判決(2015年3月)の約1年半後の2015年10月6日付で潘基文国連事務総長宛に送付された今回の宣言書では「海洋生物資源の調査、保存、管理又は開発により生じるか、関するものか、又は関連するいかなる紛争(any dispute arising out of, concerning, or relating to research on, or conservation, management or exploitation of, living resources of the sea)」についてはICJの強制管轄を認めないとの新たな一文が挿入されている4。これについて外務省は「海洋生物資源に関する規定が置かれ,また,科学的・技術的見地から専門家の関与に関する具体的な規定が置かれている国連海洋法条約上の紛争解決手続を用いることがより適当」であるためと強制管轄除外の理由を説明している5が、柴田明穂神戸大学教授(国際法)が指摘する通り「南極海での調査捕鯨の再開(及び北西太平洋の調査捕鯨の継続も)は国際法的に危うい、少なくともICJに持って行かれるのはいやだ、というメッセージ6」と解することもできよう。
では、日本が今後海洋関係の紛争で提訴された場合に応ずるとしている国連海洋法条約(United Nations Convention on the Law of the Sea: UNCLOS)の下での紛争解決手続きとはどのようなものか。同条約第286条はまず、UNCLOSの解釈または適用に関する紛争で交渉等によって解決が得られなかったものは、いずれかの紛争当事国の要請により、管轄権を有する裁判所に付託されると規定する。締約国は国際海洋法裁判所、国際司法裁判所、仲裁裁判所、特別仲裁裁判所のいずれかの管轄権を義務的なものとして予め選択的に受諾を宣言することができる(287条1項)。紛争当事国が同一の裁判所を選択している場合は、当事国が別段の宣言をしない限り、その裁判所に付託される(同条2項)。紛争当事国の宣言に共通の裁判所が存在しない場合は、仲裁裁判にのみ付託されることになる(同条3項)。したがって仮に豪州が日本をUNCLOSに定める義務的紛争解決手続きに付託する場合で同一の裁判所を選択していない場合は、別段の宣言をしない限り、仲裁裁判所に付されることになるであろう。この場合、日本は裁判を回避することはできない。
なお、国際海洋法裁判所は21名の裁判官で構成される(付属書Ⅵ、国際海洋法裁判所規程2条1項)。仲裁裁判所は5名の仲裁人で構成される。仲裁人5名のうち原告・被告側が各々1名を選任し、残りの3名は原告・被告双方の合意により選任される。原告・被告側が各々選任する仲裁人は自国民とすることができるが、双方が合意した3名については、紛争当事国が別段の合意をしない限り、第三国の国民としなければならない(付属書Ⅶ第3条)。
では、ICJで裁判を行う場合と、UNCLOSの下での裁判では法の適用に関してどのような違いが生ずるか。この点に関してケンブリッジ大博士研究員のMichael A Beckerは、UNCLOSに定める国際裁判の手続きに付されるのは「この解釈又は適用に関する紛争」(286条)であり、国際捕鯨取締条約の解釈は直接的には海洋法条約上の義務的手続きに付されるものではない、という点を指摘している。つまり豪州がUNCLOSに基づき再提訴する場合は、NEWREP-Aの実施がUNCLOS違反であると主張する必要がある。UNCLOS第65条及び120条は「いずれの国も、海産哺乳動物の保存のために協力するものとし、特に、鯨類については、その保存、管理及び研究のために適当な国際機関を通じて活動する」と規定していることから、NEWREP-A実施を同条に基づく協力義務に違反していると主張することは可能であろうが、この立証は国際捕鯨取締条約違反より困難であろう7。
では、UNCLOSでの裁判手続きでは豪州は勝訴の公算がないのであろうか。これに関しては第87条及び第116条の存在を指摘したい。第87条では「公海の自由は、この条約及び国際法の他の規則(other rules of international law)に定める条件に従って行使される」とされ、この公海の自由には、「科学的調査を行う自由(freedom of scientific research)」が含まれる、と規定されている。また、第116条は「すべての国は、自国民が公海において」「自国の条約上の義務」に「従って漁獲を行う権利を有する」と定めている。しかるに、国際捕鯨取締条約は第87条に言う「国際法の他の規則」に当然含まれ、日本が公海で鯨類を捕獲する際には、国際捕鯨取締条約における「自国の条約上の義務」に服する必要がある。したがって、科学調査目的の捕獲許可発給を規定した国際捕鯨取締条約第8条に違反した鯨類の捕獲は、「国際法の他の規則に従っ」た「科学的調査」ではなく、「自国の条約上の義務」に服していないと解釈され得る。
こうした法的議論が可能なことは、豪州側も既に認識しているのではないかと考えられる。というのも、豪州が日本をICJに提訴する際の法的議論のベースの一つとした報告書に調査捕鯨が第87条と116条に抵触するとの記述が見受けられるからである8。
なお紛争が義務的管轄権を有するとして申し立てを受けた裁判所は、「紛争当事者のそれぞれの権利を保全し又は海洋環境に対して生ずる重大な害を防止するため」に適当と認める暫定措置を定めることができる(290条1項)。当事者間が義務的管轄権を有する裁判所について合意がない場合は仲裁裁判所に付託されることになるが(287条3項)、裁判官の選任等設立までに時間を要することが予想されることから、国際海洋法裁判所は「事態の緊急性により必要と認める場合」、暫定措置を定めることができる(第290条5項)。豪州及びニュージーランドは1999年に日本を相手取りミナミマグロの調査漁獲の即時停止を命じる暫定措置を同290条5項に基づき国際海洋法裁判所に請求したことがあり9、従って同様にNEWREP-Aに対してその停止を求める暫定措置命令を求めることも理論上考えられ得る。
2.IWC科学委での議論
NEWREP-AはIWC科学委員会の下に設置された専門家パネルで2015年2月レビュー会合が行われたが、同パネルは捕獲予定数の333頭についての根拠が薄弱であること、非致死的調査を十分に考慮していないこと、捕獲することによって商業捕鯨再開時の捕獲頭数管理方式の向上にどの程度役立つのか具体性に乏しいこと、他機関との協力についても不十分であること等を指摘したうえで、「現在の調査計画は……致死的サンプリングが必要であることを立証(demonstrate)していない10」として計29の勧告を行った。加えて、捕獲が一時中断したとしても調査に大きな影響は与えないとして、致死的調査実施の前に上記勧告の全てが実施され、それが評価されるべきであるとの判断を下している11。
これに対して日本側は、「致死的調査・サンプル数の妥当性に関する評価に不可欠な作業に関する勧告」と自らが考える5つについては、具体的な作業計画を提示し、科学委員会でその結果報告を行うとする一方、それ以外の勧告については、NEWREP-A実施を通じて対応するとし、全ての勧告を完了せずとも捕獲は実施するとの立場を表明した12。ここで日本側自らが科学委員会で結果報告を行うとした5つの勧告は、①調査捕獲によって得られる自然死亡率・性成熟年齢・妊娠率・加入率・寿命などのデータ精度が向上によって捕獲枠の算定方式であるRMPがどの程度改善されるのかの評価実施、②資源解析のアップデート、③自然死亡率推定の実行可能性・精度を判断するための既存データの分析、④捕殺によって得られる性成熟年齢データを資源解析に用いた場合、どのような利点があるのかを測定する基準の策定、⑤性成熟年齢の変化の検知に必要となるサンプル数に関する詳細な検出力分析の提出、である。
2015年5月から6月にかけて開催された科学委員会は、ワーキンググループを設置し、日本の追加作業の評価を行った。しかしここでも、日本が致死的調査・サンプル数の妥当性に関する評価に不可欠な作業に関する勧告としたものについても、日本の追加作業が完了していないとの見解が提示された。すなわち、上記①について日本側は、シミュレーションをしてみたところ、捕獲によってしか得られない耳垢に基づく年齢測定データが資源解析には必要なことが論証できた、これを用いてRMPも改善するつもりだ、とした。しかしながらワーキンググループは、確かに専門家パネルの勧告に則した作業が行われてはいるが、クジラの捕獲によってどの程度精度が改善するかについて十分な評価を行っていないと評価し、②の資源解析のアップデートについても勧告されたことが部分的にしか対処されていないとした。③の既存データ分析は何も追加作業は行われておらず、④の捕獲によって得られる性成熟年齢データを用いると、資源解析の点でどういうメリットがあるのか説明すべきとの勧告についても、日本側が提示したシミュレーションの結果からは性成熟年齢は年齢解析の結果の多くにほとんど影響を与えないことが示されており、どのようなメリットがあるのかが証明されていない、と指摘されている。⑤のサンプル数計算についても十分であるとはされなかった13。これを受けて科学委員会は「ワーキンググループの結論に合意する」とともに、日本の追加説明に示された「分析は不完全であり、十分な評価をすることができない」こと、したがって「十分なレビューを行うためにより詳細な情報が必要である」との点で合意している14。40名を超える科学委メンバーはこれとは別に共同ステートメントを発表し、日本側がサンプル数評価に必要不可欠としている項目についても作業が完了していない以上、致死的調査が必要だということが証明されておらず、捕獲調査を行わず専門家パネルの勧告で求められていることを実施すべきであると結論付けている15。
2014年9月にスロベニアで開催されたIWC総会では、科学委員会に対してICJで判示された基準にNEWREP-Aが合致しているか検討を指示する決議16が採択されており、科学委ではこれに関する議論が行われた。ここでは、サンプル数について十分な説明ができてもいないのだから、日本の主張する調査目的からみて合理的かどうかも当然わからないし、ミンククジラが南極海で食べているのはほとんどオキアミであること等は既に十分わかっていることなので、これ以上捕獲して調査しても鯨類の保全管理に何も役には立たない、との意見が出される一方、日本側が説明した通り非致死的調査だけでは保全管理に資する十分なデータが得られないとの意見も提示され、コンセンサスに至ることはできなかった17。
3.NEWREP-A最終案
専門家パネル及び科学委員会での極めて厳しい批判を受け、日本側は再度修正した調査計画最終案を2015年12月公表し、「我が国研究者による追加作業の結果、調査実施前に証明すべき事項については、必要な作業が完了した」として「NEWREP-Aを本年度から実施することを決定した」旨発表した18。同調査の調査目的は当初案通り、①商業捕獲のための捕獲枠算定メカニズムである改訂管理方式(RMP)を適用したミンククジラの捕獲枠算出のための生物学的及び生態学的情報の高精度化と、②生態系モデルの構築を通じた南極海生態系の構造及び動態の研究であるとされ、捕獲頭数も当初案通り333頭とされている。
確かに最終案は当初案に比べて、いくつかの点で若干の改善が試みられている。例えばICJ判決で他の国際機関との研究面での協力がほとんど全く存在しないと批判された点に対応して「南極の海洋生物資源の保存に関する委員会(CCAMLR)」とオキアミ調査で連携すると表明するとともに、同調査に関し当初計画より具体的な計画案が提示されている。しかしながら、専門家パネル及び科学委で指摘された勧告等に十分応えているとは言い難い。
問題点の第一として、サンプル数の説得的な説明がなされていない点が挙げられよう。確かに最終計画案では333頭のサンプル数の根拠として、1年あたり0.1歳の性成熟年齢の若齢化もしくは老齢化を90%以上の確率で検出するためのものだとして、その計算論拠が提示されている。しかしながら、内容は当初計画案とおおよそ同様であり、なぜ0.01歳でもなく0.2歳でもなく0.1歳を基準とするのか理解することに困難が伴う。
また、なぜそもそも性成熟年齢だけを基準にしているのかも不明である。NEWREP-Aの調査目的であるRMPを適用したミンククジラの捕獲枠算出のための情報の高精度化と、生態系モデルの構築は、以前の調査捕鯨計画(JARPA II)にも含まれている。また、JARPA IIでは性成熟年齢に加えて、妊娠率、脂皮厚、系群混淆率等5つの基準からサンプル数の算定根拠が提示されている。しかしNEWREP-Aでは性成熟年齢からしか算定論拠が示されていない。2000年代半ばまで水産庁で捕鯨問題の陣頭指揮をとった小松正之も「性成熟率から333頭を積算した方法は、ICJに批判されたJARPA IIのサンプル数の算定方法より統計的有意性が低」く、「検出の有意性成熟年令の変化の程度と調査期間で、サンプル数は変化させられる」と批判し、捕獲頭数は「国内の鯨肉需要に焦点を合わせた妥協の産物」だ、と批判している19。
加えて、2つの調査目的のうちの1つである南極生態系解明という観点からなぜこの数が必要かの説明が一切なされていない。NEWREP-A調査計画最終案でも、当初案と同様、南極海生態系という調査目的からのサンプル数計算が「現段階では実現不可能」であり、333頭を捕獲するのしないのとでどの程度の南極生態系解明という調査目的達成の点で違いが出るのかはわからない、と説明を諦めている20。
ICJ判決では、発給された捕獲許可が科学研究目的であるかは、当該発給国の認識のみに委ねることはできないとし21、サンプル数は調査目的に照らして合理的でなければならない、と判示している22。しかるに、日本側の説明は、一番目の調査目的であるRMPを適用したミンククジラ捕獲枠算出のための生物学的及び生態学的情報の高精度化という観点からも不十分であり、二番目の調査目的である南極海生態系の解明という観点からは全くなされていない。ゆえに、調査捕獲が国際捕鯨取締条約第8条で許容されている科学目的であるか否かの客観的基準としてICJが採用し、2014年のIWCで採択された決議でも盛り込まれた、「調査目的に照らしサンプル数を合理的であること」との基準を満たしていない。
第二の問題点として、調査の目的と致死的方法という手段に整合性があるのか、という点が挙げられる。日本側は、捕獲枠算定メカニズムであるRMPを適用したミンククジラの捕獲枠算出のための情報を収集して高精度化を図ることを2つの目的のうちの1つとしている。そもそもRMPで捕獲枠を算出するためには、①過去の捕獲実績と、②推定生息数の2つの情報だけで足りる。これに対して日本は、クジラの他の生物学的情報も収集すれば、資源に悪影響を与えることなく捕獲枠を多く算定することができるが、こうした情報のうち性成熟年齢については年齢データがなければわからず、年齢を知るためには捕殺が必要である、と主張している23。ところが調査計画では、サンプル数計算のベースとして用いられた1年あたり0.1歳の性成熟年齢の若齢化・老齢化を90%以上の確率で検出ことが、RMPをどの程度高精度化させるのか、数字による具体的な説明が示されていない。捕獲枠計算の高精度化を図るというのであれば、なぜこれまでの20年以上にわたって実施されてきた調査捕鯨で、こうした高精度化について顕著な具体的成果が得られなかったのであろうか。これまでも達成し得なかったものを、具体的な数字もなく達成できるという説明は理解に苦しむと言わざるを得ない。
調査目的の2番目である南極海生態系モデルの構築に関しては「南極海の海洋生態系の構造と動態を解明するために必要な捕食者の消費を算定するには胃内容物が必要24」とミンククジラ捕獲の必要性を日本側は主張するが、南極海に生息する生物の中で、なぜミンククジラだけを捕獲し、他の鯨種は目視だけでよいのか合理的に説明することは困難である。事実、調査捕鯨の実施主体である日本鯨類研究所自身も「生態系モデルを構築するためには豊富に存在するすべての鯨種からのデータが必要」との立場を現在でも維持しており25、これはミンクしか捕獲しないNEWREP-Aと矛盾する。調査主体である日本鯨類研究所はまた、「漁業資源への影響に関することも含めて、捕鯨調査の重要性を示していきたい」と調査の意義を強調しているが26、南極海に回遊するクジラが食べているのは専らナンキョクオキアミであることは数十年前より周知の事実であり、南極海に生息する魚類を大量に捕食しているとの話を筆者は残念ながら寡聞にして知らない。調査する意義に極めて乏しいと判断せざるを得ない。
専門家パネルは、これまで多数のサンプルを捕獲してきたのだから、まずこれを調べれば良い話であり、捕獲を一時中断しても支障はない筈だ、と指摘している27。これに対し日本側は、南極海の鯨類資源は近年大きく変動し、ザトウクジラとナガスクジラ増加に伴いミンククジラの資源量停滞あるいは減少が起こっている可能性があるとし、こうした変動の動態を捉えるには継続的な捕獲調査が必要不可欠だ、と反論している28。他方、北西太平洋で実施している調査捕鯨(JARPN II)ではICJ判決を受けて沖合海域でのミンククジラ調査捕獲を当初100頭が予定捕獲数であったところ、これを0としていることに対し、海洋生態系の大規模な変化が一因と考えられる近年の発見頭数減少を受けたものだ、と説明している。南極海でミンククジラの捕獲を継続的に行うのは、南極海の生態系に大きな変化が起こっているからだと主張している一方で、北太平洋でミンククジラ捕獲を中止した理由も、この海域の生態系に大きな変化があったからだと説明しており29、これは相互に矛盾する。この矛盾は2015年のIWC科学委員会でも指摘されており30、小松正之も「南極海新計画のミンク鯨はバイオプシー調査では無理だから、サンプル数333頭を示した」一方で「北西太平洋ではバイオプシー調査で対応するため、ミンク鯨のサンプル数を0にしている」と指摘し、「見れば見るほど、日本の調査捕鯨は支離滅裂」だ、と批判している31。
さらに付言すべきは、多数の科学的疑義があるにもかかわらず、なぜ捕獲調査が必要なのか、その科学的根拠を日本国内においてすら説明する努力を行っていないことである。数十億円の国費によって賄われる水産資源管理としては国内最大規模の科学調査事業の一つである筈にもかかわらず、実施主体である日本鯨類研究所にはIWCに提出した英文の調査計画書1本をつい最近になってウェブページにアップロードしたのみであり、この計画が何を目的とするものであり、どのような科学的成果が得られるのか、なぜこの頭数が必要であるのか、科学者から多数提示されている疑義に対してどう答えるのか、何の説明も行われていない。税金を用いて調査研究を行う機関として、科学的アカウンタビリティ(説明責任)に欠けると指摘せざるを得ない。
4.小括
以上見てきたように、NEWREP-A最終調査計画書は、IWC科学委及び同委専門家パネルの指摘事項に十分応えたと言うにほど遠い。同調査はICJ判決で示された基準を満たしておらず、科学目的であると客観的に立証したと言えない。ゆえに国際法上違法と考えられる。日本の調査捕鯨再開を報じた英字紙の論調は総じて日本の立場に否定的であり、日本の主張に理解を示す報道はほとんど見受けられない。日本国内でも勝川俊雄東京海洋大准教授は日本の調査捕鯨は「〝科学〟として破綻している」として「国際裁判をないがしろにした形での調査捕鯨に反対」と明言32、日本経済新聞も12月6日付で「調査捕鯨の再開は拙速だ」との社説を掲載している33。「国際社会における法の支配」を外交の基本原則とする日本政府の基本方針と調査捕鯨の再開は背反しており、南シナ海・東シナ海での中国の海洋進出に対して国際法の遵守を求める日本の立場と矛盾する。国際社会における日本の威信と評価を下げるものであっても、上げるものとはなり得ない。国益に反すると言わざるを得ない。
現在調査捕鯨再開に関して豪州一般世論での反応はそれほど激しい反発を招いてはいないと報じられているが、シーシェパードが調査捕鯨操業の妨害を公言しており、このため船舶を南極海に向け出港させている。捕鯨船とシーシェパード妨害船との衝突は、豪州内での関心を一気に高めることも予想される34。かような場合、豪州は再び国際裁判に打って出る可能性も否定できない。
日本の新調査捕鯨NEWREP-Aは、科学的に正当化され得ず、ICJ判決の主旨を踏まえているとは到底言えない。国際捕鯨取締条約違反であり、言わば日本政府公認の「IUU漁業(違法操業)」であると判断されよう。南極海での調査捕鯨は中止すべきと思料される。
- 秋月弘子「国際司法裁判所における手続き」、東壽太郎・松田幹夫編著『国際社会における法と裁判』国際書院、2014年、179頁。
- 同上。
- 外務省国際法局国際法課、「国際司法裁判所(ICJ)について」、2015年、5頁、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000103330.pdf (2015年12月12日アクセス)。
- 同上;ICJ, “Declarations Recognizing the Jurisdiction of the Court as Compulsory: Japan,” http://www.icj-cij.org/jurisdiction/?p1=5&p2=1&p3=3&code=JP (accessed on December 12, 2015).
- 外務省国際法局国際法課、前掲注3。
- 柴田明穂Facebook、2015年10月18日付投稿、 https://www.facebook.com/akiho.shibata.3?fref=ts (2015年12月12日アクセス)。
- Michael A Becker, “Japan’s New Optional Clause Declaration at the ICJ: A Pre-Emptive Strike?” EJIL: Talk! (Blog of the European Journal of International Law), October 20, 2015, http://www.ejiltalk.org/japans-new-optional-clause-declaration-at-the-icj-a-pre-emptive-strike/ (accessed on December 12, 2015).
- International Fund for Animal Welfare, Report of the International Panel of Independent Legal Experts On: Special Permit (“Scientific”) Whaling under International Law, May 12, 2006, pp. 48-51.
- 水上千之『現代の海洋法』有信堂、2003年、129頁。
- IWC, “Report of the Expert Workshop to Review the Japanese JARPA II Special Permit Research Programme,” SC/65/Rep02, 2014, p. 2.
- Ibid., p. 35.
- 水産庁・外務省、「新南極海鯨類科学調査(NEWREP-A)に係る国際捕鯨委員会(IWC)科学委員会レビュー専門家パネル報告書への対応について」、2015年4月、1頁。
- IWC, “Report of the Scientific Committee – Annex Q: Matter Related to Item 17. Special Permits,” IWC/66/Rep01(2015) Annex Q, June 19, 2015, p. 2.
- IWC, “Report of the Scientific Committee,” IWC/66/Rep01(2015), June 19, 2015, p. 92.
- IWC, “Report of the Scientific Committee – Annex Q: Matter Related to Item 17. Special Permits,” IWC/66/Rep01(2015) Annex Q, June 19, 2015, p. 9.
- IWC Resolution, 2014-5.
- IWC, “Report of the Scientific Committee,” p. 96.
- 水産庁・外務省、「新南極海鯨類調査計画(NEWREP-A)の実施について」、2015年12月、1頁。
- 小松正之「緊急提言!IWC」みなと新聞2014年12月5日。
- Government of Japan, “Research Plan for New Scientific Whale Research Program in the Antarctic Ocean (NEWREP-A),” 2015, para. 3.1.1, p. 32.
- Whaling in the Antarctic (Australia v. Japan: New Zealand Intervening), 2014, p. 28, para. 61.
- Ibid., p. 33, para. 88.
- Government of Japan, “Research Plan for New Scientific Whale Research Program in the Antarctic Ocean (NEWREP-A),” 2015, para. 1.3, p. 9.
- Ibid.
- 日本鯨類研究所、「Q&A-南極海における日本の捕獲調査」、 http://www.icrwhale.org/05-A-a.html (2015年12月18日アクセス)
- 藤瀬良弘日本鯨類研究所理事長の森山裕農水団人と面談した際の発言。水産経済新聞2015年12月8日「捕鯨3団体が森山大臣訪問」。
- 小松正之も「南極海のミンククジラはこれまでのJARPAとJARPA IIで約1万頭のサンプルが集積されているので、これに年間300頭余りのサンプルが追加されたところで、統計的な精度を向上させる意味合いは薄い」と指摘している。小松正之『国際裁判で敗訴!日本の捕鯨外交』マガジンランド、2015年、107頁。
- Ibid., para. 1.1, p. 5.
- Government of Japan, “Response to SC 65b recommendation on Japan’s Whale Research Program under Special Permit in the Western North Pacific (JARPN II),” SC/66a/SP/10, 2015, p. 4.
- IWC, “Report of the Scientific Committee,” IWC/66/Rep01(2015), June 19, 2015, p. 92.
- みなと新聞2015年6月30日。
- 勝川俊雄Twitter、2015年12月7日。
- 捕鯨推進の旗振り役の一人であった大西睦子氏(大阪鯨料理「徳家」女将)も「南極海での捕獲調査に対する風当たりがあまりにも強く、実施が現実的に困難ならば、日本は大きな決断を下す時ではないでしょうか」と「南極海での捕獲調査を諦めるのも選択肢」と述べている。みなと新聞2015年6月30日、「大きな決断下す時 徳家女将大西睦子さん」
- Daniel Flitton and Andrew Darby, “Japan whale hunt tensions to flare as Australia considers court action,” Sydney Morning Herald (electronic edition), December 8, 2015, http://www.smh.com.au/federal-politics/political-news/japan-whale-hunt-tensions-to-flare-as-australia-considers-court-action-20151207-glhag4.html (accessed on December 13, 2015).