捕鯨判決とその後の展開
真田康弘(法政大学大原社会問題研究所客員研究員)
前回のニューズレターでの拙稿では、捕鯨裁判の口頭弁論を中心に解説を行った。今回は前回書ききれなかった部分とともに、判決後の日本国内での展開について記すこととしたい。
1. 南極海捕鯨事件判決の概要
日本が調査捕鯨実施のよりどころとしている国際捕鯨取締条約第8条1項では、IWC加盟国が科学的研究目的のために(for purposes of scientific research)鯨を捕獲するための特別許可を発行することができ、これについては条約の適用から除外される、と規定している。
判決では、JARPA II は広い意味で科学的研究と特徴づけることができる一方、科学研究目的となっているかについては、(a)致死的調査を用いるに至った決定、(b)致死的方法の利用の規模(サンプル数が目的に照らして合理的か等)、(c)捕獲計画数と実捕獲との比較、(c)調査計画のタイムフレーム、(d)調査から得られた科学成果、(e)他の研究機関との連携関係から勘案すべきとの判断基準を提示した。この基準から鑑みると、JARPA II は科学研究目的と呼べないとし、JARPA II の実施差し止めを命じた。
2. 日本側の敗因
こうした判決となった理由として、以下のものが考えられる。
第一に、口頭弁論に先立って行われていた豪州側と日本側で日本側の訴訟書面の「出来」の問題がある。豪州側の申述書は文章自体は本文だけでも280 ページに及び、必ずしも短くはないが、豪州側が強調したい事実やフレーズは繰り返して強調するなど、統一したストーリー展開が感じられ、この問題についての前提知識がなくとも容易に読めるような工夫が凝らされた書面であったと思料される。この問題で重要となるであろう日本語の資料をくまなく調べ上げ書証として引用している。
これに対し日本側の答弁書は本文の分量でも豪州の1.5 倍と分量的には遥かに上回るのだが、全体的に冗長であることに加え、法律論の部分と科学議論の部分との部分は全く違った書きぶりで、官僚や担当者が縦割りで作成したような印象が拭えなかった。なぜこの頭数の捕獲が必要か、なぜJARPA IとJARPA II でサンプル数が大きく異なるのか等といった科学的説明も、これまでIWC などに提出した文書をただなぞっただけのような内容になっており、説得力に乏しかった。ICJ 提訴という戦略については、豪州政府部内で「勝ち目があるのか」との異論もあったが、仄聞するところによると、届いた答弁書を読んだ豪州側は、かえって「日本側の弱点に気が付いた」との印象を持ったようである。
第二に、豪州側の巧みな専門家証人への反対尋問の活用などの訴訟指揮、及び日本側の口頭弁論での失敗、特に日本側専門家証人のラース・ワロー教授の証言を挙げる必要がある。ICJの口頭弁論は、各国の弁護人が丁々発止にやり合うかたちではなく、1週毎に日豪が入れ替わって一方的に発言する形式を取っていた。従って双方は事前に準備した上で相手側の主張に答えることができる。ところが専門家に対する証人尋問では唯一例外的に、質疑形式の反対尋問の時間が設けられている。豪州側はこの機会を十全に活用し、日本側証人のワロー教授を激しく攻め立てた。この結果豪州は、ワロー教授から「ナガスクジラの調査計画については気に入ってはいない。これでは何も情報は得られない。ザトウクジラも問題だ」「ナガス・ザトウとミンクでサンプル数計算の根拠が違っている理由はわからない」「ザトウは獲らなくても生態系モデルを構築できる」という発言を引き出すことに成功した。判決の行方を決定づける証言であった。
他方日本側は、専門家に対する反対尋問で持ち時間を半分程度しか使わなかったばかりか、捕獲頭数の設定について「私にもさっぱりわからない」(日本側弁護人アラン・ボイル教授の発言)と述べるなどの失点が目立った。捕獲計画頭数は科学的に算定されたと主張する一方で、実際の捕獲頭数が計画と大幅に異なっていることについて、その頭数でも調査目的は達成できるとの弁明も行っているが、ならば捕獲頭数を大幅に少なくする、あるいはゼロでもよくなってしまうことになる。日本の科学面での弁論は論理破綻を来していたと言える。
3. 捕鯨判決のインプリケーション
この判決が将来の調査捕鯨に及ぼす影響としては、以下のものが挙げられる。
第一は、原告適格の問題である。国際司法裁判所は日本がこの件を争わなかったため、豪州の原告適格を問題とせず、同国の個別利益だけではなくIWC加盟国の集団的利益の実現のための訴訟をあっさりと認めている1。これは、今後どの加盟国でも日本の調査捕鯨を国際法違反として提訴することが可能であることを意味し、国際法的にも重要な意義を持つ2。
第二に、今後日本が南極海の調査を再開しようとする場合に及ぼす影響である。ICJの判決は日本が条約第8条の下でのいかなる将来的な許可書を与える可能性を検討する際も、この判決に含まれる理由付け及び結論を考慮することが期待される、と付言している。
この判決で示された条件に則するならば、(a)非致死的方法で代替できるかを十分検討しなければならず、(b)サンプル数は調査目的に照らして十分な科学的論拠を有するものでなければならず、(c)捕獲予定数と実捕獲に大きな齟齬が生じた場合は、調査計画や捕獲予定頭数を修正するなどの措置をとるなどして合理的に説明のつくようにしなければならず、(d)査読論文数を飛躍的に増やすなど科学成果を挙げるものとしなければならず、(e)内外の学術研究機関と連携関係を強化する必要がある。これらの全ての条件を満たす数百頭規模の捕獲調査計画策定は、極めて困難と思われる。
問題は日本の北西太平洋での調査捕鯨(JARPN II)にも関係してくる。たしかに判決はJARPN IIについて直接判断を行うものではない。しかし判決文において、同判決の理由づけと結論を考慮することが期待されているのは、全ての調査捕鯨である。JARPN IIはしたがって、少なくともその調査計画は妥当か、科学的観点から根本的な見直しを行うべきであった。
4. 日本国内の反応
判決後の日本の動きについて触れよう。
日本側敗訴の判決は3月31日午後7時のNHKニュースで第一報が報道されたのを皮切りに、各マスコミで大きく取り上げられた。判決に対して朝日新聞は「調査捕鯨は、事業としても行き詰まっている」として「政策を転換する時だ」と社説で説き、毎日新聞はよりはっきりと「南極海から撤退決断」すべきと主張した。読売新聞すら「捕鯨政策を総点検する必要もあるのではないか」と疑問を呈し、日本経済新聞も「現実問題として捕鯨事業に参入する企業は現れるだろうか」と「捕鯨の現実を見つめ直そう」と説いた。調査捕鯨の続行を明確に主張したのは「明らかに公平さと合理性を欠いた結論」として判決を批判した産経新聞のみであった。
判決を受け林芳正農水相はJARPA IIを中止すると発表したが、問題は南極にとどまらない可能性も浮上していた。特に外務省筋からは「日本は良き敗者になるべきである」との意見も提起されてようである。一部の水産庁幹部からも「北西太平洋の調査捕鯨」つまりJARPN IIも「訴えられる危険がある」との見方が示される3など、実施に慎重な見方が生じていた。国会議員の間にも「調査捕鯨全面停止の閣議決定をするとの情報がある」との噂が飛んだ。
こうした動向がある一方、政治家からは調査捕鯨の再開を目指す声が相次いでいた。自民党捕鯨議連は4月2日総会を開催、南極海での調査捕鯨再開に向けて新たな調査計画の早期策定や条約からの脱退も辞さないあらゆる選択肢で捕鯨政策を推進するよう政府に求める決議を採択、翌3日に安倍首相に決議文を手交している。
捕鯨の維持という点では、与野党に違いはなかった。4月15日、国会近くの憲政記念館で与野党8党の議員が連絡協議会を開催、調査捕鯨を通じた科学的データの収集が重要だとの認識で一致、同日開催された「捕鯨の伝統と食文化を守る会」には与野党国会議員を含め関係者約600人が参加、捕鯨継続を目指す「決起集会」となった。衆参両院の農林水産委員会もJARPA IIに代わる次期捕獲調査計画の早期に策定し、調査捕鯨を再開するよう求める決議を全会一致で採択した。
「政権の中枢は、ここで折れたら保守の人たちからの批判されるというリスクを意識している。私も調査捕鯨をやめるほうが政権には痛手だと思う」と政府関係者が語った通り4、与野党特に保守系議員が強く要求する捕鯨継続の声を無視することは不可能であった。安倍首相、菅官房長官、林農水相、岸田外相の4者が閣議後会談、捕鯨継続の方針が決定され、4月18日に林農水相談話として公式に発表された。JARPA IIは判決に従い取りやめ、2014年については南極では目視調査のみに留めるものの、北太平洋のJARPN IIについては規模を縮小しつつも継続するとし、2014年秋までに内外の科学者の参加を得るかたちで新たな南極海での調査捕獲計画をIWC科学委員会に提出するよう目指す、との内容だった。
5. 判決に対する国内捕鯨関係者の評価
捕鯨関係者の判決に対する評価は、①調査捕鯨の科学的意義を評価しない不当きわまる判決だとの側面を強調するものと、②判決はむしろ日本の意見を十分踏まえている、と判決文を解釈するもの、③判決内容はむしろ当然である、と見るものが見受けられた。
まず①について。元水産官僚で捕鯨問題にも関与した八木信行東大大学院准教授は、判決が「捕鯨産業の秩序ある発展」という「条約の目的など顧みないまま『科学調査』とは真理の探究目的で行うものと想定し、その想定に沿って結論を出した」ものと評している。こうした判決を判事が支持したのは欧米のマスコミが「調査捕鯨の否定的な側面を過去20年以上繰り返し流していた」からである、と述べている5。
畑中寛・元日本鯨類研究所理事長は「海洋資源調査の必須事項である『調査目的と必要標本数および必要計画年数の重要性』を全く理解していない」など「科学的専門性からみて、ICJ判決が的外れであると言わざるを得ず……深い憤りと憂慮を抱かざるを得ない」としている6。
元IWC日本政府代表を務めた米澤邦男は、捕鯨問題では少数派の立場におかれ「科学的真実の追求」を頼りにしてきた日本にとって、「豪の主張は、一見してあまりにも無理」であったにもかかわらず、ICJは不適切な訴訟指揮と「判事の専門的知識の欠如」により不当な判決を下した、と評価する。「法廷が入るべからざる領域に立ち入る暴を犯した罪は、更に国際法や資源管理学会などで追求分析され、記録に残さるべき」だとの批判である7。
次に②について。森下丈二IWC日本政府代表は、7月11日に開かれた水産ジャーナリストの研究会の場で、「判事のほとんどが事前に日本側の資料に目を通していなかった」ことや、「日本側が雇った国際法学者たちは、最初から『モラトリアムを破った日本が悪い』とのパーセプションを持っていた」ことなどが日本に不利に働いたと日本側外国人弁護人にも批判の矛先を向ける一方8、判決文では「条約の目的を原文通り捕鯨産業と発展とする9」こと、「日本が新調査を実施することを想定した内容になっている10」ことから「長期的な観点からすると、捕獲調査や条約のあり方に関し、ほぼすべて日本の主張が通った11」と肯定的に評価する。調査捕鯨はこれまでも「オゾンホールの発見に匹敵する12」科学的成果を挙げているとし、再開に意欲を示す内容である。
日本鯨類研究所の藤瀬良弘理事長も、判決でJARPA IIが「おおむね科学的と特徴づけ得る」としていることを強調、問題視されたのは運用・方法面に止まり、これを改善した新たな計画を策定すればよいとの見解を表明している13。加藤秀弘東京海洋大教授も判決を「調査捕鯨の科学的側面をある程度認め、内容的には惜敗」と評価、「国内外に完敗のごとく受け止められている」ことは「残念な状況」であるとコメントしている14。
最後に③について。2004年まで水産官僚として捕鯨政策を担った小松正之は、日本は「負けるべくして負けた」との見方を示している。「科学と称していながら、科学的情報を全然取らないで、鯨肉供給の目的、それも在庫が多いもんですから、在庫調整をして、それをもう全く科学的な観点の素人である国際司法裁判所の判事に見向かれた」と指摘する。小松は判決を受けて政治的観点から北太平洋で捕獲頭数を減らしたことについても「また在庫調整、と言うか供給調整やってますから、完全に非難されます」「北太平洋の捕鯨も消滅に向かう大きな一歩を踏み出した」と危機感をあらわにしている15。
6. 法学界でのシンポジウム
日本の国際法学界内での動きについても簡単に触れよう。まず、5月31日から6月1日にかけて、日本側弁護人及び裁判を担当した政府関係者と内外の国際法学者によるシンポジウムが神戸大学で開催され、国際法学会2014年度研究大会初日の9月19日にも、捕鯨問題の特別企画が催されている。
この問題は科学的側面を含めた多角的検討が必要なことは言を俟たないのだが、前者では法技術的面が重視された内容及び議論が多かったように見受けられた。原則としてフロアからの質問は受けないかたちであったが、少数ではあったが法学者以外のフロア参加者をも交えた討論を行えば、自由闊達な討議の促進に繋がったではないかと思われる。
国際法学会での企画セッションは学会初日の19日に組まれたが、国際捕鯨委員会の隔年会合が18日までスロベニアで開催されており、捕鯨委員会の参加者は法学会の企画セッションには物理的に参加できない。企画セッションを学会最終日に設定すれば、捕鯨委員会参加者を含め、最新の知見を踏まえた議論が展開できたであろう。
7. 今後の展望
日本政府は9月2日、南極海の調査捕鯨で捕獲対象をミンククジラに絞り、必要な調査捕獲数を11月頃に確定させる方針を明らかにし、これを15日から開催されたIWC本会議で改めて表明した。また、10月に東京都内で国内外の科学者を集めた特別会議を開催する旨を発表した。
しかしこうした日本側の立場は、IWCに参加する加盟国の多くを納得させるものとは到底なり得なかった。調査捕鯨に関しては、ニュージーランドが決議案を提出、賛成多数(賛成35、反対20、棄権5)で採択されている。科学委員会に対して、提出された調査捕鯨計画がICJ判決に判示された基準(本稿1.(a)~(e))に従っているかどうかに関し助言を行うよう求め、IWC本会議が科学委の上記報告を審議し勧告を行うまで、調査捕鯨の許可を行なわいよう要請する、等する内容である。こうした決議により、IWC科学委での調査捕鯨に対するレビュー機能強化が期待される。
日本の調査捕鯨は、国外にはもとより、国内に対しても、その内実が説明されてきたとは到底言えない。敗訴してなお、科学や事実そのものに向き合わず、判決の創造的な解釈や手続論への拘泥に陥っているように思われる。IWCでもICJの評価基準を組み入れる旨の決議が採択された以上、調査捕鯨の科学性をなおも信じるなら、このIWC決議に基づくプロセスに真摯に取り組み、国際社会の理解を得るよう説明責任を果たすべきである。必要なのは内輪だけに響く心地の良い理屈ではない。その意味で、豪州側弁護人を務めたジェームス・クロフォード教授(ケンブリッジ大)が自らの弁論を終わるにあたり述べた一言は、極めて的確であるように思える。
裁判長、裁判官の皆様。我々が欲するものは何か。この多国間条約の下における説明責任(accountability)に他ならない。我々はいつそれを欲するか。今でしょう16。
1 児矢野マリ「国際行政法の観点からみた捕鯨判決の意義」『国際問題』(近刊)
5 八木信行「南氷洋鯨類捕獲調査に関するICJ 判決を読んで」、水産経済新聞2014 年4 月3 日。
7 米澤邦男「国際司法裁判所(ICJ)の我が国JARPA II に対する判決を考える」『鯨研通信』第462 号(2014 年6 月)、1-6 頁。
8 『水産ジャーナリストの会会報』第128 号、2014 年9 月30 日、4 頁。
14 加藤秀弘「IWC 日本牽制決議 捕鯨論争科学的に」、読売新聞2014 年10 月8 日「論点」欄。